ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

感謝って?ふつーを噛みしめている瞬間に、やってくる。

「感謝で涙が自然と溢れる」

「感謝がこみあげてくる」って、、、

今まで自分にはない体験で、、、

ほんまかいな???私もそんなとき来るんかいな???

ていうか、なんじゃいソレ~~~(゜Д゜)

すごく、うがった見方をしてました。

「感謝が湧いてきた~~~~°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°♡♡私ってHAPPY♡♡」

って言ってるように見えて、イラッとしてたんだよね、きっと。笑

そして、それが自分には分からないことだから、そんな風に体験を語る人のことを見て、拗ねてたんだと思います。(^^;

 

でも、表現が違う(いや、捉え方が違ってただけともいう…)だけで、同じような体験をここ最近している私です。

「これがわたしの『ふつう』」をいつの間にか積み上げてきたら、

普通に帰宅してるだけなのに、弁当屋さんののぼり見て、泣けてきた。笑

弁当だって買おうと思えば買えるし、

帰る家はあるし、

私にも仕事なり家のことなり、お役目があるということに、

なんだか泣けちゃったのね。

こういうものを、名前を付けるかなら『感謝』なんだろうなぁと。

しみじみとした感じ。するめ、噛んでたら、「あっ」て感じ。

そして、するめでしかないのよ。

だけども、それが、ふがいなさもありがたさも共存してるのよ。

『当たり前さ』をかみしめる、という『ふつう』の所作でもあり・・・

 

感謝の気持ちは湧き上がってくるもの

意識して口に出すものではない

という言葉をみました。

 

まずは言ってみる、はアリだと思います。

その時どう感じるか?聞いてみてください。

気持ちと、言葉が合わさってないと、気持ち悪いですよね。

気持ちと合った言葉や、思いに出合うまで、出し続けるのが良いのだと思います。

そうやってひとつずつ、『自分』の整合性をまずは合わせていく。

一貫性は、なくてもいいです。

自分の、きもちと、頭の中と、行動が、合ってくるまで。。。

それは地道で、もう嫌!おえ~~っ て気持ちになること多々です。

でも、合わさってきたら、

どこへ行かなくても、

なにをしなくても、

無性に泣けてくる瞬間がある。