ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

平成最後の

平成最後である。

平成の約30年間を振り返ると、今年33になる私の人生ほぼそれである。

 

覚えているのは、1999年のノストラダムスから世の中への悲観を持っていたように思う。

就職氷河期と言われ、あなた達の時代は大変よと言われ育ってきた気がする。

あまり、世の中というものに期待してこなかった世代でもあるかもしれない。

 

そうは言っても、小さな希望は夢は抱きながら高校生まで過ごしたものである。

高校生になったら一気に大人になるような気がしていたが、中身は全然変わらなくて、精神的に大人になれるんだろうか?それはいつから?と愕然としたものだった。

 

小学生の頃は、一途に漫画への夢を見ていたように思うけど、現実を見なさいと囁かれ続けながら、絵は仕事にしないほうがいいと既に思ってしまっていた。それくらいの情熱だったのかもしれないが、細々と今でも描くことは続いている。

小学高学年の人間関係の生きづらさに、中学は目立たぬよう大人しくをモットーにしていたら、とても楽しく無かった。

それで高校は変わろうと思って、勉強も体育祭も楽しく過ごせたと思う。

しかしながら、一体なんの仕事をすれはいいのか?とりあえず大学生にだけはなりたくて、受験勉強のための勉強をした。

進路、仕事、やりたい事についてももちろん考えたけど、あの時は、全部2番目を選んでたんだなと今なら思う。だから上手く行かなかったのだなぁと。

 

その時は、29歳までに結婚するか、

一人暮らしでも猫と暮らしていくんだ、仕事をしながら。と思っていた。

それには自立が必要だと、家を出ることを最優先に県外の大学を選んだ。

親にもよく反発してたのもあると思う。

今思えば、親がいてこそ、県外進学が出来たというのに。

 

大学へ進み、大学の学びに挫折してしまう。

就職活動もピンとこない。

保険を掛けるような、つぶしが効く選択をしてきた私は、何に対しても必死に進むような行動が取れなくなっていた。

けれども何とか仕事につかなければと、就職する。関東という全く違う土地に行くことに、大学進学で県外に出れたんだから同じと思っていたが、違ってた。

 

自分のために生活し、仕事しているのに、それらは全て自分のためと思えなかった。

 

精神的にも限界を感じて一年足らずで退職し、大学時代に知り合い付き合っていた旦那氏と、結婚することになった。

 

ここから再び私の自分探しである。

 

仕事については、結婚後もたくさん失敗したと思う。結婚して9年、やっと、自分の仕事がかたまってきた気がする。

 

結婚して、家族がいたからこそ出来た様々なチャレンジと失敗だったと思う。

 

子育てしながら働くんだという気持ちはずっとあり、子供がいてもやる!と力んでいた。

家族や子どもがいるから仕事に不利、無理、と思うよりはチャレンジしていかねば、という気持ちが強かったと思う。

私にとっては、私自身のペースを知るのに「こともがいる」ことはちょうど良い条件になったきもする。

だから、家族や子どもがいるからこその仕事の選択肢を私のペースと掛け合わせながら選び試していけたと思う。

私は家のこと、子どものことを無理してまで、仕事やらをしたくなかった、というのも分かった。

 

平成生まれが2人と、令和生まれが秋に生まれる。

3人いたら、子ども好きと思われるかもしれないけど、そうでもない。子ども中心の生活に疲れてしまう時もある。怒るし優しいわけでもない。教育熱心なわけでも、子どもの相手が上手なわけでもない…。

 

じゃあなぜ?

 

家族が好きなんだろうなと思う。

家族はエネルギー源な気がする。

 

ほんとかよ!と旦那に突っ込まれそうである。

 

だけど、なんとも言えない、この存在に囲まれて、私はいつも力をもらってると思う。

 

ありがとう。