お金と自分、の話。
今日は、洗面所の戸棚の整理(ハンカチがわんさか積みあがっていた)
リビングのカウンター周り半分を片付けました。
少しのスペースだけど、捨てるものもあるんですよねー
ちょっと前に、アクセサリー類を片付けたんだけど…
どこに片づけたか分からなくなって(そんなに収納場所もないのにw)
他の場所の整理をしつつ、アクセサリー類を入れたもの(何に入れたかも忘れた)を探してました。(^^;
気になるところは大体片付けできたかな!
あとは、窓ふき。トイレ掃除。キッチン、食器棚、をもう少し。
午前中の一時間くらいでちょこちょこするのが、今のペースです。
そうそう、エアコンは10月頭に業者さんを予約しました。
さて。
あんまり、「◯◯が欲しい」が出てこなかった…。
自分のライフスタイルや、出産に向けての「希望」が多かったかなぁ。
欲しいもの、行きたい所、食べたいもの、は勿論あるんだけれどね。
少し前に、小学校入学準備でたくさんモノを買って、
流れに乗るかのように、私も自分のためのモノも買って、
(例えば…子宮委員長はるちゃんに影響を受け、ふんどしパンツ!デビュー。とか。快適。これもまた書きたい)
支払が迫ってきて、ドキドキ。
やば~~~
こんなに払えん~~~
(ま、リボやら分割にしましたが)
私って一度に払えないんだ(><; って事実に、ショックなのもあった。。
そしたらさ、「もっとお金があれば気持ちよく払えるのに~~買えるのに~~」
って思ってね。
そのあとから、なかなか次の買い物に進めない。。
でも、お金がないからっていうよりは
「本当に欲しいか?」
「自分に見合ってるか?」
「そんなに使っていい自分なのか?」
無意識で、自分を値踏みしてるんだよね。
これは、今サポートしてもらってる人に言われたことでもあり…やっと、受け止められた。(^^;
・本当に欲しいもの
・あたらいいな、程度のもの
・ただ、払いたいもの
と、分類するといくつかあるんだけど…
買うかどうか迷う時、
「自分は見合ってるか?」「お金を使うのに・それを手に入れるのにふさわしいか」
のほかに
「失敗しても良い自分か?」ってあると思った。
買わないと、手に入れてみないと分からないこともあるでしょう?
お金を出して、手に入れて、「あ、違った」ってこともある。
ショックだよね~~~~!!!!
そういう場合、本当に欲しいものじゃなかった、必要としてるものじゃなかった、
んだろうけど。。。
やってみないと分からない。
チャレンジする自分に、失敗しちゃった自分に、「それでも大丈夫~(*^_^*)」
って言えるか?
そんな時、1番じゃなくて2番や3番選んで、妥協してなかったか?
妥協してた自分を直視することが出来るか?
・・・気づけたら、万々歳だよね。(*^▽^*)
それ、繰り返さなくていい♪
常に、
一番大切にしたいこと、
一番欲しいもの、
を選びにいく。
今までずーーーーっと妥協してきてたなら、すぐには「一番」が分からなかったり、迷いが出たりする!
自分にとっての「一番」が変わるときだってある。
それは、コツコツやってくトレーニングだ。
秦由佳さんの今日のブログとも重なるんだけど…
常に自分の本音、本心、一番を見つけて行くための行動って、
常に、潜在意識にオーダーしている日常とダイレクト。
しかし、私たちはいつしか、深刻さというベールを身にまとってしまうのです。
無意識に出てくる深刻さは、自分たちを過去に引き戻したくなります。
また、深刻さを持っていようとする”潜在的な恐れ”は、
自分の人生に人よりの苦労とか大変さとか孤独とか強い痛みとかいう刺激を持とうとします。
そう・・・自分にとっての「いちばん」を選びに行ってるはずなのに、「深刻さ」を含んでる。
そのまんま潜在意識にオーダーするのが怖い。
だから、大変ね、頑張ったね、苦労やハプニングという「刺激」を無意識にオーダーしちゃってる。
どうしてそのまんまをオーダーするのが怖いのか?
周りになんて言われるだろうか?
自分だけしあわせで、いいの?
失敗したら、違ったらどうしよう?(どう思われる?)
これらの「怖れ」は、ある意味他人軸でもあり、自分で自分を裁いてる。
そしたら、ルミナさんのブログでもタイムリーな言葉が…
最初にお伝えしておくと
自分の人生を生き始めると「岐路」というものは
なくなります。
つまり、「選択」の人生を生きなくなります。
選択は人生の中で通過するプロセスです。
自分を生きると決めるまで選択は続きます。
どちらがいいか?
そのこころには、損得計算があります。
選択は、「恐れ」が生みだす世界です。
きっと、たくさんの選択、選択、選択…をしていった末に、
自分の「生」があるんだろうと思う。
これしかない、というような
これがわたしだと思うしかないような、
そこには、成功も失敗もない。
その道の途中であることが、未熟なのでも、劣っている訳ではない。
「選択」のある人生もまた、豊か。
どのプロセスも、その先に至る場所も、ぜんぶ「じぶん」と思いたい。^^
そして、「じぶん」だから、だいじょうぶ、まる!
豊かなことを楽しみたい。