ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

子どもを通して見られたいという気持ちに気づいた。(3)

前回の続きです。


自分に声をかけるなら・・・「かわいい♡」

(〃艸〃)ムフッ

 

いや、しかし、なぜ???(。´・ω・)?

 

自分の女らしさ、自分らしさを見てほしいから?

大事にしたいから?

それよりも、、、

 

・∀・)<「かわいいとゆるされるよね~~」

 

という私の設定・思い込みがありました。

 

私、無条件に許されたいと思ってる???

 

何しても、

可愛くても可愛くなくても、

上手くいっても、失敗しても、

いいよ~~って

ゆるされたい。自分を否定されたくない。

 

でも、結局それを他人(または家族)に言われて、

相手が私のことを受け入れていたとしても、

許してくれていたとしても、

 

自分は「あんなことしたし~~~;;」「こんな所あるし~~~;;」と

自分のことをゆるせていない、のではないか。

 

そうすると、

許されても、

許されなくても、

「大丈夫だよ」と人に言われたところで、

何も変わらない。。。

 

何も変わらない。。。Σ(゚Д゚)

 

許されているかどうか、が大した問題に思えなくなってきます。

 

そういえば、旦那さんにも言われたことがあります。

何のことでかは忘れましたが、

「結局は、やっちゃんがそう思ってるんだから、

僕が気にしてないといくら言ったところで、意味がない」みたいなこと。

 

パートナーはいつも私に助言をくれていますね( ;∀;)

 

そしてこの設定はどうやら娘にも当てはめていたようです。

お母さんなんだから、可愛い娘だから、ゆるしてあげなくちゃ。と。

 

ちゃんとお母さんしてきた、我慢してきたんだねって

コメントをもらったときに、あ~~~私は「頑張ってるね、えらいね」って

言ってもらいたかったんだと。

 

頑張りたくない理由に、頑張る理由にも、「子ども」を当てはめ

子どもを、自分を、直視することを怖がっていた私は、

それでもそれでも、頑張ってるねと言われたかった。。。

でも、「子どものためだから」と理由付け・言い訳してるのを知っているから無意識では「自分はまだまだ」だと思うそのループ。。。

 

心の広いお母さん♡がしたかった。

誰のために??

評価されるために。

 

自分のためにお母さんするなら、

子どものためにお母さんするなら、

すっ飛ばしてはいけないところがある。

人の目・世間の目なんて、最後の最後。

あ、こんな風に見えるのね、程度でいい。

 

そしたら、

自分を見たい

子どもを見たい

と素直に思った。

 

それってやっぱり、今をいきる。

目の前のことをみつめる、だ。

 

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