ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

怒ること、すきということ。

ご飯はお腹いっぱいだけど、お菓子やジュースが飲みたいという時がある。

そういう時、私の雷は落ちる。

ご飯はもういいけど、お菓子やジュースは食べたい。

分からんでもないが、ご飯を食べきらないのに食べたいだなんて、腹が立つ。

ギャーギャー怒ったその夜、

私の怒りはもうどこかへ行っていて、

でも怒り過ぎたなぁ

いつもやさしい言葉掛けそびれてるな

と思ったので

寝入る時に

だいすきだよ、生まれてきてくれてありがとう

ちょっと怒りすぎる時もあるけどね…

なんて話したら

何で分かるの??と、聞くではないか。

怒ったあと、本人は

私ばっかり、愛されてないんだ!

と思っていたらしい。

それに答えるような言葉だったようだ。

 

怒ってることと

愛されてない愛している

という事は、

全く別問題なのに

次元が違うのに、

怒られる方はそうは思わないらしい。。

平面だけで見るとそうかもしれない。

空間でみると、愛がすっぽり包んだ中の

怒りや悲しみや笑いや喜びなのだ。

 

と私は思ってるんだけど、

怒る方だって、

こんなに怒ってばっかり、好きなはずなのに…と頭を抱えてしまう。

すきなら、怒ったりしないと、思い込んでるんだろうなぁ。

そんな時も、平面でしか見ていない状態なんだろう。

怒ることと

好きか嫌いかは

別問題。

全てはイコールで繋がらないのだ。