ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

多世代環境でニュートラルな自分を見つけていく

6歳長女を見てると、本当に色んな顔がある。

パワフルなのはデフォルトとして…

小さい子に、お姉さんしたがったり

大きい子に甘えたり、

同世代とは競い合いたかったり、

親への甘え方と、ほかのママさんへの甘え方関わり方ももちろん違う。

 


考えてみれば、当たり前のことで

大人の私も、きっと色んな顔してると思う。

自分のことは棚に上げて

長女に対しては、そういう時イラッとする事も多かった。

 


いやいや、色んな顔しながら

また真ん中に戻っていくんじゃないか。

 


揺れに揺れて

ブレにブレながら

色んな顔する事で

自分に近づく。

ニュートラルに戻る。

 


やっぱり、自分のことは

他人がおらんと

分からん。

人と喋りながら

私ってこうなんだ、と

ハッとすることもしばしば。

 

分かりやすい年功序列や勤続年数、だけの世界は、何にも考えなくて楽チンかもしれない。

 

だけど

雑多に、色んな人がいる場では

自分を見ざるを得ない。

 

そんな時、

いやにもなる。笑

 

自分でしか、居られない。

 

その繰り返しなんだろうなぁ


それを思うと、

そーいうことが出来る、

色んな人と関われる環境は

ありがたい。