ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

【5歳2か月】小さい頃英語が喋れた、という話。

『書けた!これ、なんだっけ?』と杏ちゃん。
「Kだね~(周りに参考にしたようなKが見当たらないので)思い出して書いたの?」
『そう、杏ちゃん、小さいころね、英語しゃべれたんよ。だから思い出して書いたんよ』
と言って、AとBも続けて書いた。

小さい頃喋れた?!
喋れる設定なんだ~~~~
ひゃ~~~~
「…杏ちゃん英語喋れるんだね~」
『そう、えーびーしー#&@~!(最後テキトー)』

ヒッポでフレーズ歌ったりするのは「うまく言えない」と最近マイクしないことが多い杏ちゃん。ちゃんと出来ないから嫌だって言う気持ちも育ってることに、文字書いたりや工作してる中で気づく。
英語(等々)については、今は物心つきすぎて、「うまくしゃべれない」と思ってるんかも…
そんな杏ちゃんの現時点の前提は『喋れた』。。なんか、面白い~

かなりの妄想っ子ですが、
色んな国の人に出会ってる中、杏ちゃんは通じあえる感覚を持ってたんだろうなぁ
とホームステイ受入れしながらも感じてたけど、少なくとも自分とかけ離れたものではない、というか。そういう感じ、今日のやりとりで、改めて感じました。

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