ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。ふつうって、幸せとイコールだった。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。たぶん。

【3歳6か月】現実と空想と動物園のはなし

今日、動物園に遠足に行ったムスメ。

朝の準備、初めて使うレジャーシートについて説明した。これを広げて、そこに座ってお弁当食べるんだよ。
そうすると、「皆は?」
皆もそれぞれ持ってくるよ。と答えておいた。

お迎えにいくと、開口一番、
「どうしてお弁当出して食べたの?」
お外でどうしてお弁当を広げて食べたのか、という意味かな?と思った。
遠足だから。と答えておいた。

「どうして今日、AちゃんとBちゃんと3人で座ったの?」
背が低い順の三人組。
バスの中で並んで座ったように言う。

「ミートボールが入ってたからAちゃんに見せたんだよ」

「このお菓子、落ちたから食べちゃだめよって先生が言ってた」

今日あった出来事をこんなに言えるのかぁと感心。
いつもと違う遠足というのもあるだろうけど。。

それから夜に、ヒッポで今日のことを話してもらった。
止めないと延々と話す。。。w

動物園で何を見たのか聞いたら、
フラミンゴとかサイとかカバとか
本人の口から初めて聞く単語も多かった。
フラミンゴが、一本足で立ってることも話してくれた。

空想も混ざりながら話すんだけど(動物園にプリキュアが出てくる……)、先生やお友だちとの話もよく覚えてるもんだと思った。

子どもの話は、現実と空想をいったり来たりする。
何をしたか、誰が何を言ったかよく覚えているし、空想の世界もきっとおんなじ次元なんだろうなぁ
どちらも、本人の頭の中の話なのだ。

自分が世界、という感覚で過ごしていると、現実も空想(頭の中)から生み出したもの、と言えるのかな。

境目というものが、そんなにないんだろうなと思う。おもしろいなぁ
どうして?に答えるとき、
私の頭はうんと働く。。
……鍛エラレテマス(  ̄▽ ̄)

私も空想を楽しんで答えてもいいなぁとふと思ったw