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ふつー、が生まれる毎日から。

"自分"に向き合った先には、『ふつう』がありました。そんな話を、私と、ムスメと、旦那さんとの毎日から。

そこにあった、

動き回った週末でした☆
子どもと一緒だと二人分の体力を使う感じ(笑)という表現がぴったりだなとやっと気づきました。
火曜日のいまも、まだ眠たいのは、
春のせいなのか。。。
エネルギーチャージした午後はすっきり☆

週末は、かわい~い赤ちゃんを見におうちへ行ったり、(2ヶ月半、十分コミュニケーション取ってた)
いつもは車ですっと通っちゃう道を、てくてく歩いたり、(電車が止まって遅れた影響なんだけど、杏ちゃんはその分昼寝ができたから、歩いてくれた)
ヒッポのWSをきっかけに新しい出会いもありました♪

日曜のWSでは、留学生の話や3分間スピーチなどなど、色んな世代の方の話を聞く時間があって、一緒に参加した旦那さんと感想を話していると、お互い印象が強いものって違うんですよね。
それは、当たり前なんだけも、

それぞれが、
必要なときに、
必要なメッセージを、
受け取ってるんだな~って思いました。

そして、シェアしあって、自分のなかで更に気づきがある、ということもまた、必要なメッセージを受け取ってるんだな~と。

それはWSのようなイベントに限らず、
日常の出来事の中でもです。

その混ざりあいの経験(インプットとアウトプットの連続)が多くなればなるほど、

ひとの経験は自分の経験。
自分の経験はひとの経験。
となり、
お互いがお互いを高めあっていく。
そしたら、個性とは別のところで、
ひととの境界線って曖昧なのかも。

なんて思うと、
すごく、おもしろいな~~。
まだ、うまく言語化できないけど、
そんなことを感じました。

そうそう、ヒッポには、小5から一人でホームステイに行けたり、半年~1年の留学プログラムもあります。

行きたいって言う、本人も
行っておいでって言う、家族も
勇気がある~!覚悟がある~!って感じてて

ママと子どもでの参加が多いのだけど、
交流や普段の活動に出かけるのも、ホームステイを受け入れるのも、家で待ってくれてるパパたちは、「いってらっしゃい」「いらっしゃい」って言ってくれてる。(はず)

ヒッポの活動に限らず、
自分の生活のなか、ほんと色々頼んできたから尚更、パパのきもちがあってこそだったな~と。
日常の色々なところに、
家族のきもちがあるんだな~って。

だから、WSの時進行役として自分が動けてることも、
100人近く?がここに集まってることも、
なんかすごいと思えて。
一人一人がまた、やさしい。。

恥ずかしながら、そんなこと、
あんまり考えたことなかったから(-_-;)
家族なんだから協力してくれるの当たり前!って。わたしだってしてるのよ!って無意識にも思ってた時期もあったから。。(°▽°)

あ~~
ありがたい(*^^*)

いまある状況や環境に、
時には反発したいときも、
気持ちを真っ直ぐ向けれずに
しんどいときも
違いを感じて苦しい時もあると思う。

大人も子どもも。

それは、自分自身の中にある、
自分さえ気づいてないような"当たり前"や、
自分が大切に、大事にしたいことと、
周りにある"当たり前"に、差を感じるときかもしれない。
勘違いや思い込みをしている時もあるかもしれない。

子どもって親の当たり前に感じてる世界をそのまま取り込んで成長していく。
小さいときは特に。

子どもの当たり前=親の当たり前

それはつまり、近くにある環境。

って本で読んで、
思い当たる所はいっぱいあるし
うわ~~こわい!
ちゃんとしないと、子どもに影響しちゃうわ~~って初めは思ってたけれど、
そうよ、
自分が身を置きたい環境心地よい世界は、選びながら、作っていける!
そして、子どもも成長とともに、自分で選んで作っていく。
嫌になったら、飛び出すパワーもある!(笑)
大人も子どもも。

「これが当たり前」「そういうもんだよね」な
世界から、
自分がその時一番大事にしたい別のものを、選びとって行動していく時もある。

もし、
何か違和感を感じたとき、
親や相手と意見が違うとき
「いやいや、
これはこんなこと感じる私が悪いんだ」
「○○なんて思うべきじゃないんだ」
って思ったら、
そんなことないって言いたい。

寂しかったり、
怖かったり、
イライラしたり、、、
ネガティブと思われる気持ちも、
大事な気持ち。

いまここにあるものを、確認する時かもしれないし、
違うものを選択する時かもしれない。
見えてない自分の気持ちに気づくときかもしれない。

最近やっと、ポジティブじゃない気持ちも受け入れられるようになってきた。
かな?

ぶつかるときも、
もやもやするときも、
自分のなかに、相手のなかに、
根っこの方にあるのは……

(*^^*)

私が小学4~5年生のとき、
きれいな海の写真入りのチラシをみて、行きたいといったオーストラリアキャンプ。

母さんのびっくりした反応に、強く言わなかった。気がする。
そしたら、高校生か大学生になったころ、あの時行かせてあげれたら良かったかな、って母が言った。
そんなこと思ってたなんて思わなかったし、行けば良かったなんて思ってなかったから。

何もしてあげれてない、と言いながら、帰省するたび、ごはんやお出かけに付き合ってくれている母。

母は母の好きなように生きてるから、楽しそうやし、私は私で頑張ればそれでいいと思ってた。(母なりに、頑張ったり無理したりしてたこともあると思うけど、楽しそうにしてる姿が多かったから気づかんかった。。。)

私は自分の本音に蓋をしてたんだろうし、
拗ねてたのかも。(笑)

一人で、スーパーの寿司を海沿いの公園で食べながら、ふと思い出した。
学生のころ帰省した時に、
母と一緒に神社の桜を見に、
同じように、海辺でスーパーの寿司を食べたこと。
天気も同じ、あったかい春。
そうしたら目の前を、
手を繋いで通りすぎる母娘がいて、
自分と重なり、
そこには微笑ましい親子の姿しかなくて、

そこに、どんと降りてきた気持ち。
そしたら、
涙ぼろぼろ

ぜ~~~~んぜん、私は気づいてなかった。
今まで
自分が寂しかったことも、
自分が愛されてたことも。

いやいやいや
すでに、愛されてるやん!( ;∀;)号泣
いっぱいもらってたや~~~~ん
手を繋いどるや~~~~ん
繋いでた記憶ないけど~~( ;∀;)
ずっと、母さん見てくれてた~~

心屋さんかと思うくだりが、
体と心からあふれた。(笑)

一緒にいた時間でも、
中身でも、
してもらった事一つ一つがどう、
とかでもなかった。

そこにあった。

寿司食べながら、
愛があった~~~~( ;∀;)
気づいて泣いてたのでした。(笑)

いつでも変われるし、
いつでも気づける

逃げないから~~

暗闇が見えたら、
かならず光が見えるんだよ~~

そうだ、そうだ。
もらった言葉もじわじわくる。

私の、
【そこにあった】体験でした。(*  ̄▽ ̄)